出会い②旦那様

2023年01月27日 09:59
カテゴリ: 出会い

前回のブログではバリ島との出合いまででしたが今回は旦那様との出会いを書きます。
これが今の私の原点なので少し長くなりますがご了承ください。

1997年1月1日ウブトのハノマン通りにあったDepot Ariと言うレストランへ私は1人でランチを食べに行きました。
このレストランは2階建てでハノマンを行き交う人をのんびり眺めての食事ができお値段もリーズナブルでローカルも集まるレストランでした。

私も2階のお気に入りの席でのんびり食べていたら階段を上がる音がしました。
ふと顔をあげて階段の方を見ると現在の旦那様がこちらへ向かって歩いてきました。
その姿を見たとき『いたー!』と感じました。
『この人だよね』『間違いないよね』と自分自身と会話したのを今でも鮮明に覚えています。
雷には打たれた事はありませんがそれくらい衝撃でした。

そのとき旦那様はアメリカ人のボスの運転手とそのギャラリーでアシスタントをしていてボスのご飯を買いに来ていたのでした。
前日にどうやら私を道で見かけていてひとりでいるとレストランの友達に聞いて2階に上がってきたのでした。

私は少し前から独学でインドネシア語を勉強していていつも小さな辞書を持ち歩いていたので日本語が全く出来ない旦那ともなんとなく会話が成立したのでした。

私は初対面でも誰とでもお話しが出来ると言うのが特技なのです。
それも赤ちゃんから老人まで一律に。平等にです。
(最近はこれを出さないようにしています)

旦那様は私にクイズに正解したらアイスおごって上げると行ってきたので確かマッチを使ったクイズだったと思いますが正解し予定もなかった私はついて行く事にしたのでした。
今考えると見ず知らずの会ったばかりのバリ人で長い髪をむぞうさに束ていて裸足で手は絵の具で汚れていたのによくついていったと思います。

それまでも少し話しをすると自分にとってその人が良いか悪いかの直感が降りてくるので今てもそれにしたがっています。

旦那様の車に乗り込んでtagasにあるギャラリーに行く途中でスイカとアイスを約束通り買ってくれました。
それを持ち旦那様の仕事場のギャラリーへ

通り沿いの駐車場に車を止めて狭くて高い入り口階段を登るとき旦那様は私に手を差し伸べてくれその手に触れたとき
『この人だ』と確信したのでした。
私が探していたのはこれー!と言う感触。
そして狭い入口の先はロータスの池がありロータスの先には見渡す限りの田園風景が広がっていました。
そして体育館のような大きな建物の中がギャラリーで大きな絵画をいくつも作成していたのでした。
また寝てる人もいました。
はっきりは覚えいませんか6人前後いたと思いますが全員長髪の人で私を見ると驚きのあと満面の笑みで迎えくれたのでした。
真ん中に卓球台もあり音楽はマレーシアロックがながれていたのでした。

そこで買ってくれたアイスを食べ卓球大会が始まったのでした。
誰も日本語は出来なくてインドネシア語の辞書と英語での楽しい会話をしてあっという間に夜になってしまいました。

実は旦那様も私に会う前に顔はわからないけど出会いがあると夢にみていてギャラリーの友達に話していてその通りに私を連れてきたのでみんなビックリしていましたが祝福してくれたそうでした。

出会った日から帰国を3日後に控えていましたがそれからはずっと旦那様と一緒にいたのでした。

実はその時バリ人の友達には彼はやめたほうが良いと反対されたのでした。

ある時も車の中で
『自分を信じるか友達を信じるか決めて。もし自分を信じられないなら車から降りて』と旦那様から言われた事がありました。
私は直感で決まっていたので『降りないよ』と告げたのでした。
自分の選択には自分で責任を持つし自分の人生他人ではなく自分でちゃんと決めて学ぼうと思っていたのでした。
こんなに学びが待っているとはその時は想像しませんでしたが、、、、

その出会いの時はいったん日本に帰国しましたが新年の仕事始めに年度内予定が発表になり異動してきた上司がスタッフの一新を希望し7年勤めたJICAでの契約終了となってしまいました。
上司はインドネシア にも赴任していましたが私はその上司と合わなかったので喜んで契約終了を受け、有給もついたばかりだったので3月からGW前までバリへ行く事にしたのでした。
ここからバリ島と日本をいったりきたり半年バリ半年日本でのハードワークの日々が結婚までの3年半続くのでした。

そう考えると必要な時必要な事が起こるのだなとつくずく思いました。

私をバリに連れて来てくれた友達もサービス業で休みも自由だったので同様に長期滞在を開始していくのでした。

結婚までの3年半日々充実していて本当に楽しかったです。
バリ島を自分の目でも見て体験できました。

短期の仕事も帰国したら直ぐに決まり週末も仕事をいれバリ島へ行く為の生活となるのでした。
夜は旦那様と週1回のラブレターを書いたり毎週土曜日は国際電話をして日々インドネシア 語の勉強もし、バリ島と書いてある本は全て読みあさりバリ島を学んでいったのでした。
バリ島関係の本はホントに全て持っていて200冊以上ありバリ島ライブラリー状態で自分でも凄いなと思うのでした。
やるとなったらとことんです!

バリ島の本にもびっくりするくらい出会い、個人出版した本でさえ出会えてしまうのでした。
廃盤の本も神田の古本屋で購入したり生活の全てがバリ島でした。
残念ながらお気に入りの本を数冊残して実家から引っ越しする時売ったり処分したりしてしまいました。

また3年半旦那様との空港での別れを何度も経験したのでそれがトラウマで今でもお互い仕事に行く時でもその時の空港での気持ちが出てしまい悲しくなるのでした。
結婚して23年経ってもその気持ちは変わりません。
トラウマ恐るべし!

人、場所、物との出合いは不思議です。
その時その時で近くにいてくれるのは偶然でも必然でも自分にとってホントにホントに大切なのです。

今世は旦那様とバリ島が私のテーマなのだとも思います。
いろいろな経験を経てバリ島との関わりもやっと熟して来たと思います。

ひとつずつやっていきます。

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