主人の母(義母)/IBUですが、正確な年齢はわかりません。
多分83歳くらいかと・・・・
義父が亡くなってから少しpikun/ボケが入りだし、今回のお里帰りもちゃんとわかるうちにと思った為でした。
IBUは以前お供え作りや予約販売やジャムーやバリのお菓子作りと販売をして6人もの旦那様の姉兄妹を育てました。
そんな義母の販売に小さなときからよくついていってお手伝いをしていた旦那様は母っ子でIBUには絶対に強くいったり怒ったりも絶対にしません。
その頃のIBUの苦労を見ていたといつも話をしています。
遠く日本からでもIBUの事はいつもいつも心配しています。
また旦那様の顔や頭や髪の毛がIBUにそっくりです。
顔の小さなところはIBU似です。
今では髪の毛の色もそっくりになりました。。。。
IBUはバリ語のみでインドネシア語もあまり得意ではないので直接たくさんおしゃべりはしませんが、
私が日本で忙しく仕事をしていることをいつも心配してくれています。
嫁姑問題は全くないというくらいで気にもしたこともありません。
言葉がわからないのって良い事もあるなと思います。(ある意味あきらめもあるかと・・・・)
でも他の人には結構厳しかったりするようです。
これはとてもありがたいことです。
一応お供えなどをオーダーで受ける仕事をしたりお坊さんのお手伝いもする家なので私はバリ人のようには出来ないと最初に伝え了承していただいて嫁になったのでした。
(作り手はいっぱいいるから心配いらないと言ってくれました。大家族なので)
バリへ嫁いでバリ人と同様に日々生活されている日本人の奥様もいるのですごいなといつもいつも思います。
しかし、私が結婚した今から25年くらい前は日本人でバリ人へ嫁いでバリ人と同様の事をやって精神を病んで突然離婚なんて事がたくさんありました。
泣き叫んでしまうので日本の家族が迎えにきても飛行機にも乗れないという話しもありました。
その頃のバリ人と日本人の離婚率はなんと75%でした!!!笑
今のように日本人も多くなかったのでバリ人の旦那に頼まれて日本に帰っている自分の子供2人に渡してと言われたものを日本へもっていき渡そうとしましたが、
「もうバリとは関係ないしバリへは帰らないのでもう連絡しないでくれ」と言われた事もありました。
私の旦那様の日本行きに協力してくれたご夫妻だったのでこの対応には驚きでした。
何があったのかはわかりません。。。。
まだ閉鎖的なバリだったので自由な日本がよくなってしまったのか・・・・その後そのご夫妻はどうなったのかわかりません。。。。
そんな中だったので私は絶対に無理はしないと決めて伝える事はちゃんと最初に伝えての結婚でした。
ただし、私でもお供え作りの中でも出来る事はあるのでその時は大活躍する勢いでお供えのお手伝いをして25年やってきました。
IBUのpikunは今でも子供達にちゃんとご飯をたべさせないという思いでご飯をたいたのにまた炊いてしまったり、
お米がないからと毎日のように買ってしまったりしています。
昔の思いが強く出でしまうようです。
pikunでも愛を感じます。。。。
最近は近所には伝えして購入できないようにしたりしてご協力いただいています。
さすがバリで皆さんやさしく協力してくれます。
ガスもかけっぱなしにしてしまうのでガスも使えないようにしています。
これは危ないのでね。
今回も私の事は忘れてしまったかなと思いましたが、記憶が結婚当初のようで、私が「IBU」と呼ぶと「Sayang」と返してくれるのです。
なんかこのやり取りがとても心地よくって今回のお里帰りでは何度も「IBU」&「Sayang」のやり取りをしました。
またお寺やお供えの事になるととてもしっかりして、あのお寺はこうだとか、ブサキのお寺はとか。。。。
また早く義父の最後のNumtunを終わらせるようにとずっと言っていたのでした。
いつもバリの乾燥したお菓子をお土産に準備してくれていたのでそれはいるかと何度も聞いてくれました。
本当にかわいいIBUです。
バリの家は敷地が広いのでその中を義母は毎日何度もあるいては休み歩いては休みして疲れたら寝るという生活をしているのですが、
家の中のパトロール歩行はとても良いので続けてほしいと思います。
しかし、バリヤフリーではないので段差もあるし転んだりしないかは心配です。
しかし、IBUはIBUなりにいつもつかまるところをしっかり確認して歩いているようで
手をつないでサポートしようとすると「大丈夫よ」と言っていました。
旦那様の2番目の姉はすい臓がんで16年くらい前に亡くなってしまっています。(私の娘の葬儀の4か月後にまた葬儀をしたのでとても覚えています)
その時の葬儀に参列しましたが、義母は一緒にいってあげられないからと自分の髪の毛を切り遺体に入れて荼毘にふしていました。
あの時の光景が忘れられません。。。。
現在は義理兄夫婦が面倒をみてくれています。
最後まで自分の家族は自分達でです。
IBUは歯も数本しかないので基本おかゆやパンしか食べられません。
このため旦那様と私がバリにいるときは毎日どこかでIBUの為にパンを買っていました。
「Agungがいるときだけはこんなにおいしいパンが毎日食べられる」とって泣いていました。
実は義兄もパンは日々買ってあげていますがバリは今ではおいしいパンも購入できるのでそのおいしいパンを私たちは買っているので
そう感じたのだと思いました。
うれしいそうにパンを食べているIBUかわいいです。
義父のNuntungを9月にやるのでしっかりやって安心させてあげたいと思います。